あとがき

ぼくの好きな、清明と博雅の話の、二巻目である。

全巻を出してから、この二巻目まで、およそ七年の月日が過ぎ去った。

第一作目を書いてから、およそ十年。

この間、まるでこの話を忘れていたわけではなく、いつかは次の話を書き出そうと

日々、頭のなかでは考えていたのである。

ホームズとワトスンの話のように、この物語も評判がよく、

自分は博雅のファンであるとか、清明のファンであるとか、様々な手紙もいただいた。

知らぬ間に、このふたりをモデルにしたような漫画もちらほらと出始めていて、

この話が、ほどよく漫画業界に影響を与えているのだなと、

ひそかに悦んだりもしていたのである。

一巻目とこの二巻目の間に、ひとつの事件があった。

岡野玲子さんが、この『陰陽師』を原作にして、漫画を描いて下さったのである。

すでに二巻が出ており、この本が書店に並ぶ頃には、スコラから三巻目が出ているだろう。

陰陽道であるとか、鬼であるとか霊に対する、岡野さんの作家としてのスタンスが

この作品に合っていて、おもしろい内容になっている。

岡野さんは、ぼくよりも勉強家であり、平安時代の、おもしろい知識を仕込んできて下さっては

ぼくに教えてくれる。

平安時代のことで、わからないことがあっても、つまらないことを尋ねると

「こんなのジョーシキよ、ジョーシキ」

と、おこられてしまうのである。

もう少し先で、と考えていたのだが、あっという間に、

岡野さんの筆に追いつかれそうになってしまったので、

あわてて、二年ほど前から、短編の注文があるたびに、

あちこちの雑誌にちらほらと書いてきたものが、ようやく一冊分の量となった。

やはり、楽しい。

書けば書くほど、アイデアが増えてきて、博雅の悲恋物語であるとか、

博雅の歌合せの話であるとか、色々とネタのストックが溜まってきているのである。

実は今、広島でこのあとがきを書いている。

宮島の“厳島神社御壮健一四〇〇年 式年大際記念”ということで、

厳島神社の、海の上の能舞台で、“坂東玉三郎舞踊公演”が、

五月の九日から十三日まで、五日間とりおこなわれているのである。

その中の出し物のひとつに、ぼくが作詞をした『楊貴妃』が入っていて、

それを観るために、およそ一週間、広島のホテルに連泊をして、

昼間はただひたすら仕事をして、夜は海を渡って、

玉三郎さんの踊りを観るという日々をすごしているのである。

『楊貴妃』の坂東玉三郎は、最高である。

観ているうちに、思わず目頭が熱くなってしまう。

なんという、素晴らしいものに、自分が関わることができたのかという

しみじみとした愉悦で、ぞくぞくしてしまう。

宮島の神域を、楊貴妃の魂の棲む蓬莱宮と見たてれば、

海を渡って観にいくという行為がもう、自分が方士の役を演じていることであり

夜に、月の光の中で、海を渡って帰ってくるという行為もまた、そのまま

名残りはさらに月影も

傾く西の空遠き

都をさして帰りける

という、方士の姿になぞらえることができるのだ。

何か、運命のように、こういうものを書いてしまうということになってしまったのだが

ぼくにとって、これは、一生ものの宝石である。

ビデオに撮るわけでもなく、毎日毎日の舞いが、その都度、

一度こっきりの夢として、消え去ってしまうというのも、また、たまらなくよいのである。

素直に、この運命に感謝しておきたい。

平成七年五月十二日

広島にて

夢 枕獏